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5月になりました。皆さま如何お過ごしでしょうか。
私は相変わらず死にたい日々をとりあえず生きております。
病院は24時間換気を行なっておりますので日差しは暖かく窓からは涼しげな空気が入ってきて気持ちが良いです。
私の名前に「涼」という漢字が含まれているのですが小学生の頃、名前の由来を聞いてこなければ行けない課題があって母に聞いたことがあります。
私が生まれた日に涼しい風が吹いており美しく涼しげな女性になって欲しいから。余談で芸能人で「涼」が付いている女性は美人が多いからだそうです。
この歳になって、母が言っていた涼しい風を初めて体感したのです。きっと今までもそのような風には当たってきたはずですから初めてというのは少しおかしいですね。なんといいますか、理解が追いついたのです。
子供の頃の5月は誕生月だから好きでそれは歳をとるごとにどうでも良くなって、今じゃ夏に近づくから5月は鬱陶しくて、母が名前に込めてくれたような女性には程遠くて。
どこで間違えてしまったのか、醜くてジメジメした女性になってしまいました。
歳を取るごとに生涯孤独な独身女性が現実を帯びだしてきています。
今の仕事は辛いですが、手に職があるだけよかったなと思います。なんとか1人でも生活できますから。
小学生の頃、将来の夢にお嫁さんを選ぶ女の子はどの時代にもいると思います。
当時から私は「お嫁さんになってどうすんの?馬鹿?仕事じゃないじゃん」なんて子供らしくないことを思っていました。
それは家庭環境の違いですね。私の家には理想となるお嫁さんがいなかったからです。
1人でも必死に働いてくれてる強い母をみて育ったので自然と私もそのような道を歩んでいるのでしょう。
5月、春の終わり、夏の始まり。
私は今日も死にたいのです。
ファッションに目覚めたきっかけ
結論から言うときっかけは無い。
小さい頃から服は好きだったと思う。
私の中での1番古い記憶の中で、(4歳とか?)ポッケが可愛い半ズボンがあって、そのポッケが見えるように履くにはTシャツをインしなければいけない。でも私はインはしたくない。インしたくないけどポッケは見せたい。
この我儘で母を困らせた。
変なこだわりが小さい頃はあった。
だから私は一人っ子特有の我儘な子供だった。
母からも言われたし自分でも自覚してた。
小学生の頃は服はあるのにコーデが決まらなくて床一面服だらけにして、鏡の前でこれでもない、あれでもないってしてた。この頃から出した服を片付けるのがめんどくさかった。これも母によく怒られていた。
今じゃちゃんと出した服は片付けるようにしてる。めんどくさいけど。
中学生の頃は大人しそうな見た目と真逆な服が好きだった。豹柄とか着てた。
高校生はザ女子だった。フリフリのミニスカートとヒール。薄いピンクの服とか普通に着てた。
専門学校になると高校生の時に着てた服が急に着れなくなった。とても子供っぽく感じたから。こんなの着てたの?私って衝撃。小学生ぶりの私服生活に戸惑う。何を着たらいいかわからない。無難な服装してたら周りからお洒落だねって言われるようになった。この時から私もしかしてセンス良い?って勘違いし出した。
社会人になって古着が好きになった。ここでまた系統が変わる。地元に帰ったら地元の友達がすごくお洒落で影響を受けまくった。地元の古着屋の店員さんと出会って友達になってまた更に古着好きに拍車がかかる。
初めて原宿に行った時、自分なんかよりお洒落でハイセンスな人で溢れていた。自分が着てる服がダサく感じて恥ずかしくなった。みんな好きな服を好きに着てるのがとてもカッコ良かった。地元じゃ派手かな?って思って手を出さなかった服をここじゃ胸張って着れるくない?って思った。ここら辺からまじで東京に住みたくなった。
今。休みの日に原宿、高円寺、下北沢に行けちゃう場所に住んでいる。地元じゃ手に入らなかった服やセンスが手に入った気でいる。更に服が好きになっている。でも相変わらず休みの日にしか好きな服が着れないのが惜しい。そして休みの日はいつも1人だから誰に見せることもないし褒められなくなった。でも自己満足だしこれからも私はずっと服が好きだし。好きな服を着て生きる。
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自分に期待しない。他人に期待しない。親に期待しない。誰にも執着しない。今までの人生、この先の伏線だなんて思わない。伏線は回収されない。人生を変える気力も才能もセンスもない。死にたい人の気持ちが分からず死にたいと思った事がない環境に恵まれて育ったような人とは一生分かり合えない。逆に言えば私は環境に恵まれてる人の気持ちが分からない。きっとそんな人でも恵まれてる中での不幸があるのかもしれない。
最近観た映画「アイ・フィール・プリティ!」
主人公が自分に重なった。終盤の彼からの主人公への愛が私が欲しくて堪らない絶対に手に入らないもので号泣してた。私の場合、外見、中身を本気で好きになって愛情をくれる人なんていないから映画の中だけでも少し味わえた。
今日、最近彼氏が出来た同僚から「(私ばかり幸せで)ごめん笑」ってまた言われた。私の写真と現実の顔が違うってよく馬鹿にしてくる子。その彼氏もそういう類だと知った。類は友を呼ぶ。
悔しくて堪らないけど私には悔しくて堪らない自分がお似合いなんだと思う。
いまだに文章が書けない。
理想の死に方
理想の死に方はなるべく苦しくなくて人に迷惑をかけない。
映画「ルーシー」みたいなあんな終わり方がいいなあ。
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私って何のために生きて、働いてるんだろう。
私が居なくなって困るのは母かな。
きっと悲しむ。
あんなに苦労して育てたのに居なくなってしまったら可哀想。
母が独りになってしまう可哀想。
私だったら絶対自殺してたであろう状況を乗り越えたのに一人娘がこんなに出来が悪くて申し訳ない。
本当は、親に仕送りをしてあげなきゃいけないのに。
何も出来てないな。親孝行もしなきゃなのに旅行にすら連れて行ってあげられていない。
どうしてこうなったのか。どこから間違っていたのか。なにが正解だったのか。
わからない。
生きてる意味もわからない。
どうして必死に働いてるのか。
家に帰っても待っててくれる人なんかいないのに。
諦めなきゃ。人並みの充実感。人並みの幸せ。
人並みの温もり。
私にはそんなもの今まで無かったじゃん。
これからもずっと何も変わらないだけ。
諦めが悪い人生は苦しい。
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なにもかも嫌になる
いろんな負の感情は結局はいろんなことに諦めが悪いから
幸せそうな人を見て羨ましくなって自分と比べて悲しくなるのは、私もその人のように幸せになりたい、いつかなれるかもっていう期待があるから
諦めなきゃずっとこの負の感情で毎回毎回苦しくなるし、人に優しく出来なくなってしまう
メイクも服も自分の好きなことは全て自己満足で自己表現。
でもなんのために?
10年後の自分
10時後の自分は34歳を目前に控えている33歳。
上手く行けばきっと死んでこの世に存在しない。
上手くいかなかったら、今と変わらない生活を送っている。
嫌で辞めたい仕事もなんだかんだで続けてる。(職場は変わってるかも)
仕事と家の往復をして、毎日死にたいと考えている。
休みの日は一日中寝てるか一人で買い物。
もうすぐ40か〜なんて考えてる。
10年後の自分とかまじ醜すぎるし更に存在価値なくない?
そこらへんの女子は結婚して家庭を築いてるんだろうな〜なんて謎な自信を秘めているんだろうけど。
私にはそんな人生設計を立てるような自信はない。
手に職だけは付けてて良かったかも。
とにかく一人で食っていけるくらいの仕事はして、親の介護。親の介護をするなら自分が健康でいなきゃな。親が死んだらどうしよう。ひとりぼっちか。猫と暮らそう。猫を養うために働こう。猫も死んだら私はもういい歳だろうから早めに老人ホームに入ろう。まって、やっぱその後辛すぎるからそうなる前に死のう。
結論。29歳で死ぬ。